【高齢犬の介護】犬を最期まで看取ることの辛さと大変さについて 〜もうすぐお別れだから書いた記事〜

ひとりごと
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はじめに
他の記事でも紹介していますが、我が家の犬は9歳の時に脳に腫瘍がみつかり「放射線治療」をしました。12歳まで元気でしたが、再発。2度目の治療をしたのですが、現在13歳4ヶ月の今、発作を繰り返すようになり、とうとうその時がきたと思っています。「お別れ」をひかえた今の率直な気持ちを備忘録として記します。
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介護の大変さ

体重

我が家の犬は9Kgちょっとです。これ以上は無理だったかな・・・と思ってしまいます。

中腰で介護しなくてはならない場面も多く、よっこらしょっと持ち上げる時も腰への負担が大きいです。ご飯を食べる時、トイレに連れて行く時、寝返りを打たせる時、気分転換に外に連れ出す時。子供が小さい時の「重りを1日中つけている」感覚を思い出してしまいました。

大型犬を飼いたいと思っていた時もありますが、もう自信がないな。

眠れない

いつ逝くのか分からないから、傍で寝ていますが、発作も1時間おきにくるようになってしまい、その都度さすっています。また起きあがりたくて、じたばたともがいている時も、少しだけ体を起こしてやります。

今はもう歩けませんが、歩ける時は徘徊があり、狭いところ、暗いところに入っていってしまったり、窓に激突したり、バランスを崩して柵や壁にあたったりしましたので、本当に大変でした。一応転がってもいいように安全な場所を作っていても、やっぱり「ドタッ」っと音がすれば見ることになります。

専業主婦じゃなかったら夜寝たいので、介護の環境は恵まれている方だと夫に感謝しています。

犬は何も言わない

一番辛いのは、犬は「痛い」「苦しい」とか言わないことです。ひたむきにただ頑張っているだけなのを見るのがとても辛いです。自分が傷つくものから目を背けたい気持ちになりますが、最期まで犬がどんなに苦しんでいても絶対離れないようにしようと覚悟しました。ひどいことに「安楽死」も頭がよぎらないこともないですが、生を完うさせようと思います。

これがなかったら介護できませんでした ↓

あっという間に大きくなるから「今」を大切にすべきだとは分かっていたはずだけど

過去のことを思い出して涙が溢れてきてしまう

落ち着いて介護しているつもりでも、ふと気が緩むと元気だった時のことを思い出して懐かしさに涙がこぼれます。

「あの時もっと遊んであげればよかったな」とか「寂しい想いをさせちゃったな」と悔やんで苦しくなったりします。

犬を飼い始めた人に「本当にあっという間に大きくなっちゃうから、楽しめるうちに楽しんでね。」と言っても、伝わらないかもしれません。その時になって初めて胸に染みること。人間の子育てでも全く同じことが言えますけど。

命の尊さは、分かっていても「今」の連続である以上、気づきにくいものです。

急に亡くなるよりも少しは手を煩わせて欲しい気もする

昔、私がわがままを言って飼ってもらった実家の犬は、夜ご飯を食べ終わって突然倒れて亡くなりました。知り合いにも「朝みたら冷たくなっていた」という話を聞くことがあります。今の私からしたら、お互いになんて幸せな最期なんだろうと思ってしまいますが、そううまくはいかないみたいです。

あまりに突然だと「何かの予兆を見落としたんじゃないか」「実は夜に苦しんでいたんじゃないか」「看取ってあげたかった」と後悔しますよね・・・。

私の場合は、今、お互いに辛い日々が長く続いている以上「もう苦しめないで!穏やかに連れていってあげて下さいね。」とつい天使にお願いしてしまいます。もちろん失いたくないけれど「よく頑張った。本当にありがとう。」って褒めて送り出してあげたい気持ちが今では大きくなりました。

介護に関しては、後悔しないように手は尽くしたいと思っています。

人も見送る立場からしたら、3日寝込んでから逝って欲しいと聞いたことがありませんか?
心の準備 + お世話をさせてもらったことで最後に力になれたと思える(エゴだけど)から。。。

ロスは乗り越えるものじゃなく、抱えるもの

9歳の時に腫瘍が見つかり、彼の「死」を考える日々は多かったので、他の人よりも愛犬の「死」を数年間、いつも間近に感じてきました。でもやっぱりいつも通りの日々が続けば、麻痺してきて、なんか今の状態が永遠に続くんじゃないかと漠然とした思いになってしまいます。

今回、もうすぐお別れなんだと実感して、亡くなった後の気持ちをできるだけ具体的に考えてみますが、分かっているつもりでもきっと悲しみはそれ以上だと思います。

「ロス」はきっと乗り越えられないと思います。

涙は止まって、彼がいない日々が始まっても、何かの拍子に思い出して、ずっと悲しくなると思うから。帰宅時に出迎えてくれた姿、トイレまでついてきた姿、ご飯を催促してくる姿、夜のひどいいびき。日常のあらゆる場面で存在を思い出して、その都度思いが込み上げるのが普通。

よく「ロス」を乗り越えるためには新しい子を出迎えるしかないと言っている人もいますが、あの子とその子は全く別の思い出です。ただ新しい子の世話に忙しくなり、可愛さに癒されて、忘れたようになるだけなんじゃないかな。

まとめ

私は「ロス」は乗り越えるものじゃなく、一生「抱えていくもの」だと思います。
その都度、悲しさを思い出せばいいと思います。
封印しようとしなくてもいい。

では、悲しいのでこの辺にしておきます(^.^;)

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