他の記事でもたくさん挙げてきていますが、この度、13歳になるボストンテリアに天使のお迎えが来ました。9歳に脳に腫瘍が見つかってからも、治療のおかげでたくさんの思い出を作れる長い年月を頂けました。今、とても悲しいです。ただ、私の横にいる息子の方がすごく辛そうです。
子供にとってのペットの死
立ち会うこと
「子供にペットの火葬の立ち会いをさせるのが気がひけた。」
「骨を一緒に拾いながらよかったのかな?と今でも悩んじゃう。」
と聞きます。私には立ち会いをさせないという選択肢はなかったのですが、やっぱり子供にとって「死」というものは実際に目の当たりにすると、トラウマにもあたるようなショックな出来事となります。これは人間のお葬式であっても同じことが言えますよね。
私の小さい頃も、火葬場のお骨拾いの時は、子供たちはお留守番だったりしました。
私が初めて焼いた後の人間の骨をみたのは小学校5年生の時。祖父でした。
今でも忘れられないくらいショックな映像です。
でもね。悪い思い出ではないです。
これはトラウマというより、知らないことを初めて知った衝撃ですね。
トラウマならその後もそれに度々苦しめられてしまうんでしょうが、通常の人の「死」は、視覚、聴覚、嗅覚、触覚を含めて知識とともに受け入れていくしかないし、受け入れるべきものです。
だから私は年齢に限らず立ち会わせてよいと考えています。
「死」は身近にあり、誰にだって訪れることは隠さなくてもいいからです。
ただ、できるだけ
「天使に連れて行ってもらったよ」
「もう自由になれて空もとべるね」ってポジティブなことばと結びつけています。
心の成長のとっても良いエッセンスになるんじゃないかな?
親の背中
うちの息子は小学校3年生。
たとえ上部だけにしても世の道理をだいたい理解しています。
泣いて泣いて泣きまくっていました。
今も泣き疲れて寝ています。
ただ私が「犬の介護」をしている期間、息子が私だけをみていたのを感じていました。
犬をさする私の腰をさすってくれていました。
中腰での介助の度に「よっこらしょ」と腰を痛がっている私をみていたから。
悩んでいる私をみて「ぼく、何もできなくてごめんね」と謝っていました。
思うように排泄を促せなくてヤキモキしている私をみていたから。
そう。
子供が直面するのは、「ペットの死」よりも「親の悲しみ」です。
自分の親が涙を流して苦しんでいる姿を受け入れることになります。
・・・そっちの方がよっぽどトラウマでしょ?(++)
つまり、子供は親の背中越しに「ペットの死」をみているのです。
息子は最期の数日は実家に泊まりたいと言っていました。
苦しむ犬と私。見ると傷つくものから少しでも遠ざかりたいという本能です。
私も自分が情けなくなりました。
でも、私、息子の前で大泣きする親なんですよね。。。
泣くの我慢しません。できません。
実家の実母には
「あんたが毅然とした態度でいないと!◯◯くんのためだよ!」
と言われました。
その心も分かります。
おばあちゃんだって、犬の死、そしてそれを悲しむ娘とその悲しむ娘をみて苦しむ孫を抱えるんですからね・・・それも想像を超える辛さです。
ペットの死がくれるもの
ずばり家族の絆
飼っているペットは家族。場合によっては家族メンバー同士の円滑剤になっていることもあります。ペットは家族1人1人とそれぞれ違う関係を築いていて、どれも唯一無二で特別です。だから彼らが死んでしまうと、家族それぞれがそれぞれの悲しみ方をするものの、みんな一致してお互いが悲しんでいるということは感じます。当の家族にしか分からないペットとの思い出、その存在と悲しみを一生心のどこかにしまっていく一員です。
自分の振り返り
後悔します。悔やみます。いわゆる「タラレバ」です。私も私なりに一生懸命見送ったつもりですが、やっぱり全くダメなやつだと思っているし、あのときああしていれば!と考えてしまいます。自分の弱さや身勝手さを痛感します。でもどこかで彼(うちの犬)が赦してくれていると思ってしまっています。「自分を責める」とか「これから気をつけよう」とかの次元はとっくに飛び越えた、あたたかい場所に彼は旅立って行ったんだから。
「振り返り+赦し」これがまさに彼がくれたギフトです。
自分の死を想うこと
「死」に触れるということは、自ずと自らの「死」を想いますよね。それも具体的に。
「どうやって死ぬんだろう。どこで死ぬんだろう。」
「どれくらいハーハー言って死ぬんだろう。」
「死んじゃっているのに体を動かしたいって思ったらどうしよう。」って。
人生の折に触れ、自らの「死」を考えるのは大切なことです。明日かもしれないんだから。
先達て生を全うして「死」を見せてくれた彼からたくさんの勇気をもらいました。
息子へ教えていること
私はよく「引き出し」と教えています。
人間の心の中にはたくさんの「引き出し」があって、思い出ごとに整理されているけれど、
何かの拍子に勝手に開いてしまう「引き出し」があって、それはどうしようもないことだから、悲しくなったら泣きなさい。と。
また「引き出し」がゆっくり閉じたら涙が止まるから。と。
子供はこれからたくさんの新しい「引き出し」を作ります。
今回の犬の死は「幼い頃飼っていた犬の死」としてたくさんの楽しい思い出の「引き出し」の中に埋もれてくれると思います。
もしかしたら「犬の死で悲しむ母」という引き出しもあるかもしれませんね(><;)
それは母との思い出の他の引き出しでごまかします笑
この記事のまとめ
・ 何歳でも火葬を含め葬儀には立ち会わせても良いと思う。ただし「死」とポジティブな言葉を結びつけたいところ。
・ 子供は親の何倍も重いものを背負っている。
・ ペットは死ぬことでたくさんのギフトをくれる。
・ 子供に辛いことがあったら心の「引き出し」の存在を教える手もある。
では!
(※画像で使わせていただいているボストンテリアは「写真AC」のクリエイター「パグ犬さん」のものです。)