以前から考えていた犬の里親。里親になれる条件についての否定的意見はネットでたくさん流れていますが、今回実際に経験してみた感想と改善して欲しい点をまとめました。私は向こうの提示条件は満たしましたが、話が進んでいく中で私が譲歩できない価値観があり辞退したので今抱いているモヤモヤも含め記事にします。他記事でシェルターに行った際の状況について書いています。
犬の里親になるために満たさなければならない条件の数々
それぞれの団体によって少し違いますが、基本的にたっくさんあります。ひっかかる家庭の方が多いです。犬を愛していてもスタートラインにも立てずに怒っているという愛犬家の声はよく聞かれます。
里親として当然受け入れるべき条件
保護団体も犬猫のこと、社会のことを考えて献身なさっているわけですから、良い条件も含まれます。ここについては納得し、賛同します。これらを拒否する人には譲るべきではないです。
- 避妊・去勢手術の徹底
- 毎年のワクチン接種、必要な医療行為
- マイクロチップ・登録
- 終生育てていく覚悟がある人
正直もう少し個別に検討しても良いのではないかと思う条件
「条件を満たしていない方の応募は返信なくお断りとさせていただきます。」という文面が書いてありますよね。あまりに多い応募でしたら完璧に条件を満たす方にお願いしたいところですが、少ない応募であれば以下の方にはもう少し話を聞いてもいいのではないかと思います。
- 60歳以上の方
すごく手入れされた笑顔の柴犬とおじいさん、少し栄養とりすぎ?シーズーとおばあさん、大型犬と60代男性など、多くの幸せカップルをうちの近所でも見かけます。子供が親に元気でいて欲しいから勧めている場合も多いです。門前払いではなく、子供が保証人になる形で契約してもらえたらいいのでは?と思います。
- 単身独居
これからの時代はこの世帯が爆発的に多くなります。この世帯を断っていては里親を探す犬猫の数は飽和(今でもそうだと思う)状態です。在宅ワークであったり、留守番に慣れている子たちであれば、飼い主との相性や家の構造などで検討してもいいのではないかと思います。「ペットカメラを取り付ける」「通勤距離の制限」など、他にも考慮に入れるべき細かな条件の設定があってもいいのではないでしょうか。
- 小さな子供がいる家庭
これは一番ネックになり、賛否両論分かれるところだと思います。確かに乳幼児はやめるべきだし、妊婦さん、妊活中のカップルもやめた方がいいです。ただ「小学生以下NG」「小学校高学年以上限定」は少しやりすぎだと思います。私の場合、独身の頃からパートナー犬がいまして、一緒に嫁入りしたので、犬が4歳の時に妊娠し、出産にいたりました。確かに出産、育児中は思ったように遊んであげられないので後悔もありますが、人間にも変化する人生ステージがあり、家族としての犬に宿命を受け入れてもらうことは悪いことなのでしょうか?それによって犬もとても成長します。「遊んであげらない」「愛情を独り占めさせてあげられない」なんて少し疑問です。幼稚園の子供がいても遊んであげられるし、愛情はむけられます。人間の育児でもパーフェクトは無理なのに、犬育てにだけ完璧を求めるのは少し違う気がします。少し飛躍しますが、1人目に寂しい思いをさせるから2人目の子供を産んではいけないのでしょうか?
うちの犬のケースですが、乳児期には距離を置いていましたが、子供が立って庭をウロウロし始めた頃から10年近く一緒に子育てをしてくれました。あんなに大好きだったボールを子供の足元に初めて転がしてくれた日のことは今でも忘れられません。本当に子供が産まれた途端、大人になり、群れに入ってきた1番下の子として自分にも責任があるように行動していました。ちなみに♂です。
小学校低学年くらいからはお世話もできるのかなと思います。
そうやって犬の飼い方を学んだ子供たちが大人になって犬を迎え、また教えていくという循環こそ社会に必要だと思いませんか?
- クレート、バリケンネルは絶対NG
大体の人が、室内犬の飼い方でイメージするのはゲージ飼いです。
ただ、犬種によっては「クレートトレーニング」が必須な犬がいます。特に大型犬などは、周囲の情報をシャットダウンできる場所がないと興奮しっぱなしとなって手に負えなくまります。冷静になれる時間がないことは犬にも辛いことです。大型犬に限らず、中型犬、テリアの血の入った活動的な犬などもそうです。
劣悪な環境を見ると クレート=閉じ込め という嫌なイメージができてしまっている人も多いと思いますが、きちんと使えば犬にとってかなり落ち着けるスペースです。イギリスのトレーナーの方と話すことがありましたが、「屋根がある」ということは大切だと言われていました。犬にとっては頭上は反応できず、守りにくい場所だからクレートは犬にとって嬉しい場所だそうです。
昔飼っていた我が家の犬も、トレーナーと一緒にクレートトレーニングをしたら、噛まなくなりました。リラックスの仕方、安全基地の確保ができ、落ち着いたようでした。おまけに食糞もなくなり、トイレも失敗しなくなりました。最初はかわいそうだと思いましたが、自分でも入っていくのをみると良い空間なんだと思います。毛布をきちんと伸ばして、角にピッタリになるように綺麗に敷くようになって、毎回笑ったものです。完璧な成犬、老犬になれば完全フリーで過ごせますので、あくまで「落ち着いた犬にするためのトレーニング」に使います。
そのあたりの育て方を一律にして要求しまっているのも疑問です。
- 家庭訪問時の写真撮影
家庭訪問を嫌がるお宅は多いようですが、私は訪問自体は譲れる条件です。でも写真を撮られるのは少し躊躇します。こちらとしては「身分証をみたこともない」他人を全面的に信用して家に招くわけです。が、プライバシーの塊をデータとして持ち帰られることはこのご時世気持ち悪いです。
「代表者に見てもらうから」と言われましたが、忙しくてもその方がくるべきだし、来れないならビデオ通話にするとか、きちんと訪問する人と価値観を共有するとか、図で説明するとかなんとかなるんじゃないかと思います。
どうしても犬を家族に迎え入れたいという希望を持っているとは言っても、里親だって人間です。人として基本的な配慮をしてもらえるとありがたいです。
きっと「この話はなかったことにします」と言われてしまいますが・・・
私が里親を希望した際に個人的に不自然だと感じた条件
ここでは実際に私が保護犬を迎えるにあたって目の当たりにして悩み込んでしまった条件について書きます。「受け入れるべきか」「私が間違っているのか」と悩みました。
- 愛犬が死ぬまで団体に定期報告
「生涯、私たちと付き合いを続けてもらいます。」と言われました。「必ず里親のLINEグループに入ってもらいます。」とのことでした。
● 私の頭に浮かんだシュミレーション↓
うちのワンコに悪性腫瘍が見つかりました。余命は1年ないそうです。
今回新しく入りました〇〇です♡
宜しくお願い致します♡
腫瘍、大変ですね。。
なかなか人に慣れません。皆さんの子はいかがですか?
うちの子はすっかり馴染んで大物になりそうです♪
〇〇ちゃんもすぐに慣れてくれますよ♪
はあ・・・自信がない。
そもそも知らない人がどんどん入ってくるLINEグループが苦手です。「こそっと団体側にメールするだけで許してもらえませんか?」とも聞きにくい。条件だし・・・。
また「狂犬病のワクチン打ちました」とかの定期報告って、監視されているみたい。報告がなかったらどうなるのか、でも無視するのも気が引ける。小さな悩みですが一生抱えていくのは嫌なのでかなり悩むところです。
- 食べさせるフードのブランド指定
「こちら指定のフードでお願いします。」
「フードの定期購入に申し込んでもらいます」
→ いや、うちはもっと体にいいフードを食べさせるつもりです。犬種や犬の持病に合わせた完璧なものを見つけ出します。過去に学んだことを次の子に生かしたいですから。
- 譲渡の際の里親の団体への入会の強制
「里親を希望される方は必ず賛助会に入ってもらいます。月に◯◯円をお支払い下さい。」
そんなに高い金額ではないけれど、正直「里親になる」時点で全面協力しているわけで、さらにずっと入会費を払い続けるのは少し足元をみられているような気がしてしまう。分かります!寄付ってことだと分かります。ぜひ頑張って活動して欲しい。でも、もし入会しなくてもいいのならば、考えてしまう。年に1万円程度だったとしてもずっと払い続けるのは・・・。しかも犬が亡くなっても退会しづらいケース。。
犬猫の保護団体の考えについての疑問
よく苦情がでている向こうの対応の悪さについては目をつむります。メールの文面や口調や情報の相違、顔を合わせても挨拶がないなど。それくらいのことは平気。犬は悪くないので。むしろ「ここから出してあげたい!」と思ってしまったので策略か?とも疑った私です笑
「譲る」と「迎え入れる」の温度差の違い
私が保護犬の里親になることを躊躇した1番大きな理由です。個人的に保護団体さんはあくまで窓口であり、犬の保護者ではないと思うからです。迎え入れる家族としては、むしろ保護犬であることなんか忘れて本物の家族になりたいです。それなのにずっと報告を強いたり、里親グループに所属しろというのは私のような考え方の人間には受け入れられません。
もちろん「こんなに大きくなりました!」とか報告はあまりの可愛さに稀にしてしまうかと思いますが、あくまでボランティアさんに伝えたいなと思った時にします。また、毎年の「狂犬病打ちました」「フィラリア対策完了」などの報告は必要なのか?と思います。
私としては、犬にも私たちの家のルールに従って家族として共生してもらうつもりなのに、犬の親権が保護団体のままであるという感じがしてしまいます。一生続くのはきついです。死亡報告までするなんてもっと辛いです。
たくさんの譲渡条件を設け、窓口を狭くした理由が活かされていない
上の項目と関連しますが、どうして定期報告の必要があるかというと「監視のため」ですよね。
※ボランティアさんのモチベーションを上げるためとも聞かれたので確かにと感動しました。
ただですね、かなりの条件をつけ、家庭訪問までして、家族と直接会ってひととなりを見て、犬の飼い方も話し合って、保護団体がGOサインを出した難関をクリアした家族が里親に決まるはずです。それなのに定期報告を求めたり、譲渡後の生活にも口を出すのは、本末転倒な気がします。
自分たちの目、犬の運命を信じてあげることは難しいでしょうか?
保護団体として譲渡を迷ってしまう里親さんには「継続的に監視」を条件に引き渡せばいいと思います。監視すべき人とそうでない人を分けて接した方が、団体さんも仕事量が増えずに済むメリットもあるように思います。
看取りの預かりボランティアと里親が変わらない
保護犬の里親を検討した方は「預かりボランティア」の存在にも行き着くと思います。「預かりボランティア」をやってみたいと思う方もいるように思います。
最近知ったのですが、「一時預かりボランティア」の他に「看取りボランティア」もあります。
正直「看取りボランティア」と里親の責任の違いに混乱している私です。保護団体が医療費を出してくれるという面の違いはありますが、終生飼育するわけなのだから精神的には「看取りボランティア」も里親のような感じがします。
里親になっても、我が子は保護団体に所属していると考えると、
「里親になること」=「終生 預かりボランティア 自己負担版」になってしまうと思うのです。
日本のペット関連ビジネスの不足
動物を飼うことは「命に責任をもつ」ことなので生半可な気持ちではできません。「外出できない」「旅行できない」など、人生においてかなりの制限を受けます。ただ、海外では長い休暇をとって家族旅行しながらも犬とも上手に共生しているなんて羨ましい印象を持ちませんか?一人暮らしの方がパートナー犬と暮らしていることを耳にしませんか?本当に完全に犬に時間を合わせた人生を送る覚悟がある人しか犬を飼ってはいけないのでしょうか?
私もこのことについては考え続けています。今から犬を飼って年齢的にはまだまだ看取ることはできますが、子供の受験、大学下宿の引っ越しは泊まりがけだと思います。お葬式、介護などで家を空けることも多くなるでしょう。ましてや自分も倒れてしまうことがあるかもしれません。様々な可能性を考えると犬を飼う資格なんてないと思います。怖くてできなくなります。いくら今かなり時間を持て余していて、生活に余裕があって、家族も犬が大好きで、犬にとれる広い空間があったとしても。
ペットシッターが少ない
ペットのお世話が1時間から頼めるシッターさん。ゲージの掃除や散歩、ご飯など。
家事代行などのサービスを提供するアプリで検索できます。・・・でも田舎はありません。また、サービス自体の質が分かりづらいので、リスクを考えるとビジネスとして参入しづらいサービスだと思います。
ドッグトレーナーの必要性が周知されない
「手に負えない」「凶暴」「吠える」などの理由で捨てられる犬たちもたくさんいます。
日本は犬のことを知らない人が多いと思います。ただ美味しいものを与えて、べたべたと触れ合い、溺愛することがペットを飼うことだと考えている人も多いです。(小型犬に頬擦りする人に違和感・・・)
でも犬を家族として迎えるには「犬を自立させる責任」があります。人間の子供もずっと赤ちゃん扱いはしませんよね。もちろん家を出て、就職して、自分でお金を稼ぐなんてことは犬にはできませんが、家族の一員として、その子らしく、成熟した心を育て、一緒に老いていくことが犬生を豊かにする上での私の責任だと思っています。そのためには、トレーナーの存在は欠かせません。私が昔お世話になったトレーナーさんに、「犬を育てることは人間のカウンセリングのようなもの」だと教えてもらいました。犬に出ている問題はその飼い主の問題が表にでているだけだとのことです。
本当にそうです。少し高いですが、「犬を上手に飼う」自分になるための努力は必要です。
まとめ
一度辛い思いをした犬だから、もう2度と辛い思いはさせたくない。そう強く願う。
ボランティアさんがボランティアを始めようと思い、実際に行動をうつしたことに感謝したいと思う。
ひどい人にも会ってきたと思います。たくさん裏切られたと思います。
だから疑心暗鬼になる気持ちも計り知れません。
でも同じ犬を想う人間同士として、もっと分かり合いたいと思いました。
こんなことを書いている時点で「里親の条件をのめない」と言っているようなものですが、こんなことを思った人間がいるという記録でした。最後まで読んでくださりありがとうございます!