性同一性障害の人のカウンセリングをしていると、心が繊細で優しい人がとても多いことに気づきます。でもその一方で、経験上、カウンセリングが深まると同時に「ある1つの感情」と向き合う時期がくるんです。一度読んでみて下さい。(※本当のカウンセリングは中盤がけっこう辛いものです。自分を見つめる覚悟ができていない人は読まない方がいいかもしれません!いつか帰ってきて下さいね!)
◉ この記事を読んで欲しい人 ⇩
- 「性同一性障害」で辛い思いをしている人
- 自分で受け入れているはずなのにまだ残っている辛さがどこから来るのか知りたい人
- 当人と深いかかわりのある人
◉ 知って欲しいことはこれ ⇩
A. 自分の中にある感情がどんなものであっても、目をつぶらずにきちんと向き合ってあげること
性同一性障害とは
もう十分ご存知だと思いますが、性同一性障害について整理します。
性同一性障害の状態像
1953年にアメリカの内科医によって報告された「性同一性障害」(GID: Gender Identity Disorder)は、『自分の産まれ持った身体の性別と、自分が考える自分の心の性別が一致せず、持続的に違和感をもっている状態』 をいう医学的な診断名、および状態像のことを指します。
他に
性同一性障害(せいどういつせいしょうがい、英:Gender Identity Disorder, GID)
性別違和(せいべついわ、英:Gender Dysphoria, GD)
性別不合(せいべつふごう、英:Gender Incongruence)
などの言われ方もします。
いつくらいに気付くのかということですが、生まれ持ったものなので、幼い頃から違和感を覚える人が多いです。小学校にはほぼ8割程度の人が気づいていると言われています。特に今は、インターネットなどで簡単に情報が手に入るので、自分の悩みを調べ、合致する情報が得られやすいのもありますね。
昔の人は、「出来損ない」「変人」扱いをされるだけで、本人もかなり混乱していたと思われます。
苦しかっただろうなー
日本は古くから、男女で異なる教育が与えられ、「男らしくあること」「女として必要なこと」を学ぶことがごく当たり前である国でした。昔は世界中がそうでしたが(現在進行形の国もある)、日本は「男尊女卑」に近いことが行われてきた代表国であるように思います。
現在でも「女らしく」「男らしく」という価値観で育てられた人も多いくらいだと思うので、以前よりはマシになったと言っても、まだまだ「性同一性障害」の方たちは内に秘めて一人で悩むことを余儀なくされてしまっています。
混同されやすい概念
ゲイやレズビアンなどの同性愛といった「性的指向」は、「性同一性障害」とは分けて考える必要があります。心の性別で好きになることを考えると、通常はその性別とは異なる性の人が対象となります。
ドラァグクイーン(異性装)も別の概念です。
また、性格が「女っぽい」「男っぽい」、個人的に「男らしい」「女らしい」人が好き、嫌いだからといって「性同一性障害」ということでもありません。
上記のことは、個人的に全くかかわりがないとは言えませんが、医学的診断がつく以上、「性同一性障害」は「性的指向」とは分けて考えなくてはいけません。
性同一性障害の治療
「精神的治療」と「身体的治療」に分けられます。
「精神的治療」は「カウンセリング」ですね。
ただこの場合のカウンセリングは身体的に治療方針を決定するという要素も含まれています。
「どういう自分でどう生きていくか」という人生を具体的に決める話し合いにもなるため、通常の心理的サポートだけに限りません。
「身体的治療」には「ホルモン療法」「乳房切除」「性別適合手術」などがあります。
身体の性とは反対のホルモンを体内に入れることで、社会生活を送りやすくなったり、精神的安定の効果もみとめられているそうです。
毎日みることになる身体の形を変化させることも当人にとってはとても重要です。
知らない人に性別の不一致をいちいち説明するなんてしたくありませんから!
カウンセリングが必要となるケース
性同一性障害の人には何歳の人であっても是非カウンセリングをお勧めします。
幼少期から誰にも相談できずにいる
小学生、または未就学児からの困惑が、成長とともにはっきりした形を成してきます。
自分が「性同一性障害」だということを自覚することになります。
思春期は「性ホルモン」の影響で、男女の違いがはっきりと出始めるときなので、クラスメイトをはじめ、周囲との付き合い方、距離のとり方が分からずに、持って生まれた性格とは関係なく、内にこもりがちになってしまう人が多いです。学校で浮いてしまうことは珍しいことではありません。少なくとも本人はかなり疎外感を感じています。
個人的な実感ですが、学生時代は隠して過ごしている人は、今でもたくさんいると思っています。
これだけ「カミングアウト」という言葉が認知され、「多様性」の大切さを啓発しても、多感な年頃の子供たちはただでさえ「所属カテゴリー」を気にする年齢ですから、簡単には周囲に相談はできません。
1度打ち明けてしまえば、元には戻れませんので、そのまま我慢することの方が賢明だと考え、多くの人は「カミングアウト」せずにやり過ごしているのが現状だと思います。
また自分のアイデンティティに気づいたあと、家族には理解してもらえないのではないか、親を傷つけるのではないか、という「家族との関係性」についての大きな不安と心配も抱えていますので、一人ぼっちで苦しんでいる時間が長いと、やはり専門家に相談してみた方が良いと思います。
生活の質(QOL)の低下
社会から認識される性別があやふやなままで生きていくのは苦しいことです。
事あるごとにどうすればいいのかの選択の連続です。
就職、受験、友人、恋愛、家族関係、「トイレ」などの施設利用、など円滑な社会生活を送ることが難しくなり、いわゆるQOLの低下という状態に陥ります。
人生を楽しむどころか、最低限のことをするのも必死な状態にあることだってあります。
上記の精神的な疲労が続けば、身体的な症状として現れることがあります。
簡単に言えば「うつ」とも似ていますが、「不眠」「感情の欠如」「暴飲暴食」「頭痛」など。
身体的な問題は、自分ではいくら頑張っていても、どこかで感情の歯車が噛み合わず、無意識の自分自身が「HELP」をだした証です。
性同一性障害の方とのカウンセリングにて
とても難しいカウンセリング。「先生には分からないでしょ!」と思われているのではないかと少し怖がる私とも向き合ってのカウンセリングです。
初回に感じること
「人への強い不信感」を感じることが多々あります。
先ほども触れましたが、「心と体の性が一致している人に何がわかるの?」というピリッとした感情を抱いている人もいます。(かなり後から初回の感情について話し合った時によくある答え)
でもこれは、それまで積み重ねてきた時間で、なんとか踏ん張って自分自身が倒れないようにしてきたためですよね。自分しか頼ってこなかったのに、人なんて信じられるわけがありません。
「カウンセリング」の効果は本当にあるのか?と思ってしまうことは仕方ないことです。
一方で、中にはとても明るく楽しそうによく話す人や人懐こくておしゃべり上手な人もいます。
経験上このような人ほど、心が体の奥底に押し込まれており、深い孤独を抱えている人が多いですね。強いコンプレックスを隠すために(嫌いな自分と距離をとるために)、笑顔や言葉で蓋をしてしまっている状態かと思います。
心理学的には、あまり話さない場合も、たくさん話す場合も「防衛機制」が働いているとみることがあります。
「防衛機制」とは
抑圧
受け入れがたい本能的衝動が著しい苦痛や不快感を引き起こすとき、これを意識から締め出し隔離することで、自我を守ろうとする試み。
反動形成
自我にとって受け入れがたい本能衝動の意識化を防ぐために、その衝動とは反対方向の態度を過度に強調する機制のこと。 (wiki 脳科学辞典より)
優しさがネック
自分が苦しんできた人は他人に優しくできたりします。
「性同一性障害」の人(以下:クライエント)も優しい人が多いです。(反面、繊細で脆くもありますが。)
特に、女性の心を持っていて、女性の体になることを望んでいる人は、私なんかよりずっと女性的。本当にドキッとするほど女らしいです。
でも実はその「優しさ」こそが心のバランスを失わせている原因であることに気づいている人はあまりいません。
クライエントは「差別」や「偏見」についての嫌な思いや、「この体がうらめしい」というように、不特定多数と自分自身に向かっての嫌悪感ははっきりと口にします。
一方で、家族や周囲の人のことを悪く言う人は圧倒的に少ないです。
「親不孝」「苦労をかけた」「怖がらせた」など、あくまで自分の方に非があるように語ります。
別に普通のことに感じますよね?
優しい考え方だと。
でもここで指摘したい点があります。
ということです。
「怒り」
答えは「怒り」です。
一人ぼっちにされたこと、気づいてくれなかったこと、見て見ぬ振りをされたこと、向き合おうとしてくれなかったこと、理解してくれなかったことなど。
やり場のない怒りの渦の中にいたはずです。
それを必死で「優しさ」に変えて、どんどんどんどん「優しさ」の山ができました。
もちろんいいことなんですよ!
「優しさ」に変えていくことは人間として最高です。
カウンセリングもここで終わることもあるかもしれません。
でも残念ながら、それでは「怒り」に失礼です。
「優しさ」に埋もれた「怒り」は「優しさ」に変わるわけではありません。
ちゃんとそこにいるんです。
マイナスの感情だって生きている
カウンセリングでは「無意識」の部分に光を当ててあげる作業をともないます。
「無意識」には、理由があって押し込まれた様々な感情が存在します。(上記の「怒り」のように)
思い出したくないエピソードもたくさん隠れています。
ただし、しまってあると言っても「無意識」は常に「意識」に働きかけています。
ここだ〜気づいてくれ〜
ってな感じで存在感を見せつけようとしてきます。
このために人に色々な不具合が起きることが多いんです。
無意識の全てに光があたれば、人は生きていけないか、違う生き物になるかだと思います笑
「無意識」のおかげで安全に生きているのだとしたら、光を当てない方が良いとも考えられますが、身体症状や悩みとして「意識化」されている時点で、そのつながりの部分について見つめてあげることが解決への手がかりになります。
マイナスの感情の存在に気づいてあげた上で、受け入れてあげると言った方がいいでしょうか。
そしてそれはクライエント自身にしかできません。
カウンセラーはそれをほんの少し手伝うだけ。
「怒り」は受け入れがたい
「怒り」という感情はめんどくさいもの。
心的エネルギーの消耗がひどく、自己嫌悪という状態でずるずる引きずります。
結果的に非常に疲れる感情です。
大人になると「怒り」は拙いものだと考えられやすいです。
理性で抑えられない結果だとされるから。
そういったことも相まって、表面に出すことのできない強い「怒り」は「無意識」に入りやすいです。
思い出したくない、思い出してはいけない感情だということで、自分が壊れないように守っているんです。
守っているから、そのままにしておく、もしくはもっともっと深く押し込む・・・方法もないこともない。
でもね、この「怒り」について触れてからの方がカウンセリングがグンとすすみます。
「怒り」と向き合ってみると過去の自分とともに見えてくるものがあるんです。
(決して、周囲に怒りまくれということではありませんよ!)
「怒り」に気づいてあげると、力が抜ける人もいます。
自分だけでなんとか気づかないようにしてきた感情なので、カウンセリングで吐き出すとホッとするようです。
ここから新たなスタートです!
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まとめ
筆者のカウンセリングの経験により、書いた方がいいと直感で感じて形になった記事です。
もしあなたが自身のマイナスの感情にまで目を向けて、受け入れられるようになれば、自分の中にカウンセラーを育てたことになります!
今後の人生において、それ以下(以上も)の問題には対処できるようになったということです♪
注意:文章に分かりづらい部分があったり、質問がある場合はお気軽にお問い合わせ下さいね!